古稀とは言え、元気な私が、正に人生最高の贈り物を頂戴することになった。こんな幸せがあっていいのであろうか。
私がそれを受けるに価するような器でないことは、私自身が一番よく知っている。
激動の時代という背景があったにせよ、良き教え子にめぐまれたという身の幸せを感謝せずにはおられない。「ありがとう」
妻は私に問う、「この方々は、あなたのことを大切にして下さるが、一体あなたは、この人達に何をして差し上げたの」
と、
正に、返す言葉とてない。
「星霜の譜よ、ありがとう」 同時に私の心の支えである第六訓育班及び関係の皆さんが織りなす人間模様のパノラマでもあろう。
「肩を組み、星霜の譜を、誦さんかな」 皆さん、ありがとう。
教育は印象なり、は、旧軍以来一貫した私の教育観である。
何の感激も与え得ないような教育は、それが喜びであれ、苦しみであれ、教育に価いしないというのが私の考え方であった。
教育技術的には独創性もあり、効率性も高かったという自負も無いではないが、それとても、清水台に移り、幼年茶目相手
になってからは 「牛刀をもって、鶏肉を割く」 の嘆きが多かった。
私のこれまでの人生を振り返ってみると、真の人生は昭和二十年までであり、その後は
余生の感が強い。
特に諸君と過ごした熊幼時代は今からすると苦しいこともあったが輝ける時代であった。
その時代に寝食を共にした諸君から今こうして古稀を祝ってもらえるのは、私にとって何にも増した喜びで
ある。
近藤生徒監殿のことば
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