ウラルの彼方道遠く A             もどる
 
 これらの慌ただしい時の流れの中に、ソ連の軍使が飛行機でやって来
た。あらかじめ情報は入っていたらしいが、北の方から真っ直ぐ進入して
きた赤い星の連絡機は、飛行場上空でレバー全閉、排気音を残しな
がら、場周を飛ぶのも、もどかしげに急角度で降下着陸、部隊本部の
横につけてプロペラを止めた。
 こちらからは、敷布で急造した白旗を立てて、地区先任の航空廠長
K中佐が、通訳を伴って近づいて行った。
 その後の、やりとりの経緯は、トラブルを避けるため隊舎内に待機させ
られていた私たちの、うかがい知るところではないが、中一日の日をおい
て、航空機・小火器を含む、すべての武器をリスト・アップして提出、ソ
連軍の武装解除を受けるようになった。
 全員作業員に駆り出されて、あちこちに分散格納されている航空機
の搬出が始まった。MCの輸送機、双発練習機、一式戦闘機、九七
式戦闘機、二式単(復)座練習機、九九式高等練習機、九五式中
等練習機と、機種も雑多ながら、飛行機が足りないといいながら、よく、
これだけのものを隠していたものだと感心するほどの航空機が飛行場に
並べられた。
 そのころ、部隊に配属されていた正規の通訳が諜報関係の前歴を問
われてソ連軍に連行されてしまったので、ロシア語のわかる者は申し出ろ
ということになった。自信はなかったが、一応、幼年学校で3年やっていた
ので、同期のK君と2人で、おっかなびっくりで出て行った。カンとハッタリの
きく私が開きとり役で、K君が辞書を引きながら、しゃべるという、珍妙な
二人三脚のコンビの活躍が始まった。
 初仕事は、兵器の集積・員数合わせで、個人装備の小銃・銃剣と
拳銃などの集積に立会させられることになった。
 作業員として銃を運んで来る兵隊たちは御紋章のついた小銃を、大
事に捧持して一挺ずつ丁寧に並べようとする。
 『スカレー、スカレー、ダバイ、ダバイ』22年帰国の日まで、絶えず怒鳴
られ続ける、この簡単な言葉の通訳にまず戸惑った。
 『早く、早く、よこせ、よこせ』始めて接する異人兵の怒声に、オドオドし
た兵隊たちは、露助が点検のため、よこせと言っていると勘違いして、並
べるのを止めて手渡そうとする。『ニェット、ニェット、クーク』まどろっこしく
なったのだろう、こうするんだとばかり、十挺づつ束に抱えて集積所に持っ
て行って、ドサッと投げ落として見せる。三八式歩兵銃サマと格別大事
を取りあつかわされてきた兵隊たちは、目を丸くして見ていたが、自動
小銃を突きつけておどかされるので、彼らの真似をして、言われるままに
乱暴に集積し始めた。
 『軍刀は?』『将校のサーベルは集めなくてもよろしい。スターリン閣下
の特命で、将校には帯刀が許されている』
 集めた兵器は、すべてリスト・アップ、現物照合の上,格納庫に積み
上げて施錠して帰っていった。
 そして、私たち将校は、1里ばかり離れた宝徳地区の営外官舎に移
され10人単位で分宿することになった。糧食は当座の所要量を部隊
から持ち出していたし、無くなれば、請求さえすれば押収糧秣の中から
補給される。生野菜と動物蛋白が足りないが、これは野生の山牛蒡
や蛙をとって補った。調理は各戸ごと、当番兵がついて手伝って呉れた。
先のことほどうなるか、皆目、見当もつかないが、当面『喰っては寝』の
結構な身分で週番士官が回ってくるわけではなし、しばらく平穏な日
々が続いた。
 何もすることはないが、体力だけは維持しなくてはということで朝晩、軍
刀の素振りをすることにした。各戸ごとにバラバラでやっているうちは問題
もなかったが、そのうち広場に集まって居合抜きの真似事など始めたら、
露助の警備兵があわてて飛んできて、空に向けてマンドリン(形の似た
自動短銃)を、ぶっ放した。
 『何を物騒なことをする。私たちは、体力維持のため運動をしている
だけだ』『武器を使用するデモストレーションは止めろ。兵隊が興奮して
何をするかわからないから危険だ』将校が出てきて、禁止したので、また、
終日宿舎で、退屈な日々が始まった。
 この時の警備兵は、直接、弾丸の下を潜って来た第一線の生き残り
の消耗要員で若い連中が多かったが、ソ連兵の中でも、とくに程度が悪
く、官舎地区でも夜の外歩きは危険だった。ちょっと先隣りの家へ連絡
に行こうとして、兵隊に取り囲まれ、マンドリンを突きつけて腕時計を巻
き上げられた者もあった。長い戦争で極度に民需を切りつめられていた
彼らにとって、時計とか万年筆は、とくに垂涎の的だったらしく、ネジの巻
き方さえ知らぬ無智な奴らが、両腕に二つも三つもはめて得意がっていた。
 そんな連中が、昼間から、航空燃料のアルコールをひつかけて、ところ
構わず、マンドリンや拳銃をブツ放すのだから、危険。
 成興の妓楼で抵
抗した娼妓が射殺されたとか、変性アルコールを知らずに
飲んで、何人かの兵隊が死んだとかいう噂が伝わって来たのも、このこ
ろである。
 宣徳地区での1カ月ばかりの生活は、結構楽しいものだったが、
それも長くは続かず、結局、興南の日本窒素工場の近くの、つい先日まで
濠州軍
捕虜が住んでいた収容所に移動させられることになった。
 ここは、戦争初期に急造された、板囲いのお粗末な施設だった。
いたるところ、日本軍を呪う言葉や、母国肉親への慕情を訴える
切々の文字が英語で刻まれていた。建物はひどかったが、季節は
残暑から初秋へ向かう時期で食糧の不自由も、強制労働の桎梏
もなく、異邦の虜囚の落書を目にしても、我が身に引き較べて俘
虜の悲哀を深刻に認識するまでには至らなかった。
 ここでの初仕事は、明日の糧株が無いのでソ連側と交渉して補
給してもらってくれということだった。
 連浦で武装解除の交渉に一役買ったとはいうものの、その後、親
方日の丸でノンビリ暮らして来たので、語学のスキルは全然上がって
いないが、断わるわけにもゆかず、単身、警備小隊本部へ出かけた。
 『ガスパジン、ナチャーリニック』(隊長殿)
 呼びかけに応じて、ソ連人としては小柄な東洋系の、少し目の吊
り上った上級中尉が出て来た。『チトー、ナード、ベレボードチック?』
(通訳、何か用か?)
 『ウ、ナース、フ、ラーゲリ、ザーフトラ、ザーフトラク、トーリコ、カーシ
ヤ』(わが収容所内、明日、朝食、粥のみ)とにかく、思い出す限り
の単語を精一杯並べて、深刻な顔つきをして肩をすくめてみせた。
 『シトー? シトー?』何度聞かれても同じことを繰り返すだけ。
手ぶり身ぶりを混じえて、やっと、通じたらしい。
 『ポニヤートノー。ヤー、ストラーュス』(わかった。努力しよう)という
ことだが、当時の私のボキャブラリーにはない言葉である。『??』
 よくはわからないが、好意的な意味だろうと態度で察して、あとは、
なりゆきにまかせで帰って来た。
 『どうですか、持ってきてくれますか?』『はっきりわかりませんが、
なんとかしてくれると思います』
 祈る気持で待っていると、夜遅くなって『トラック2台,米持ってきて
くれましたよ。助かりました』炊事係が飛んで知らせに来たのでホッとした。
 収容所の先任K中佐が早速、ソ連側に、お礼に行くから通訳して
くれといって呼びにきた。セイコーの時計を手みやげに、連れだって警
備隊長のところへ行く。律義な中佐殿、いろいろ回りくどく、お礼の
言葉を述べられるが、俄か通訳にしとても訳せるものじゃない。
 『スパシーボ。プラガダリュー・バス、ムノーゴ、カーッヤ』(有難く深謝、
粥沢山)『ネ、ザ、シトー、ベラベラ……』『何と言っておられる?』
『たいしたことじゃありません。これは私の仕事です。困ったことがあった
ら遠慮なく言って下さい』適当にヤマを張ってお茶をにごす。
『折角、こられたのだから、一杯やって行きませんか』といったらしい。
ゼスチャで解ったが、冗談じゃない。これ以上長居したら、つけ焼刃
の心臓通訳、一遍にボロが出てしまう。
 『ダー、ダー、スバシーポ』断ろうと思うが、適当な言葉が出ない。
日本語のように、『ハイ、有難う』でも、ニューアンスの違いで謝絶に
なるというような便利さはない。相手は素直に諾意と解して、椅子
を準備して兵隊に命じて、缶詰を切らせたりし始めた。
中佐殿も当初は遠慮の腰だったが、赤ら顔の風貌から察しても、そう、
お嫌いの様でもなさそうだ。
 『せっかくだから、ちょっと招ばれていこうか』『シトー、オン、スカザール?』
『ンン、ハラショー』
 そこで警備隊長は,蒸留水の瓶のような、大きなガラスの容器から、
コップになみなみと、透明な液体を注いで私たちの前に置いた。
 『貴官の健康のために!』相手が一息にコップを干すので,つい釣られて、
グィーツとやると喉がヒリヒリして危く吐き出しそうになった。
 『君、これは強いよ。
50度はあるよ』『チトー、チトー? ブィビョーチェ』せ
きたてられて、グッとあける。 『ご立派おかわりをどうぞ』『グィッ』『どうぞ、
もう一杯』見る間に酔いが回る。
『さあ、どんどん、おあがり下さい』
 酔いにつれて舌も回
りだす。最初はつかえていた単語もスラスラ言えるようになる。こうなると
双方軍人同士だから話も合う。気が太くなって自信もついてくる。そのうち、
地球が回りそうになって辞去した。部屋に帰ると、一ペんにわからなくなっ
てベッドに倒れ込んだ。
一度、きっかけが出来ると、しめたもの。以心伝心、なんとなく、話すことも
楽になるし、意思も通じやすくなる。かくして、いつの間にか、一人立ちの
『ベレポッド、チック、マッコー』が定着してしまった。
                                 −つづく−
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