『ウラルの彼方 道遠く』    D            もどる
     一私の終戦実録−
1等陸佐 松 本  佶
                             (幹部学校 研究部長)
−承前−
 『富は万民の共有であり、必要な者に、必要な時に与えられる』
 マルクス・レーニンの教え、共産主義の徹底は、思いがけぬところで恩恵を
もたらしてくれる。炊事・暖房の燃料が欠乏して来ると、停車の間に警備兵
が俺について来いと案内してくれる。入れ換え線の無蓋貨車は、無尽の燃
料庫である。
 『国のものを、国の命令で行動する者が使って何が悪い』
 単純明快な論理に立脚する戦場経験豊かな警備兵の警戒監視のもとに、
国有資源の露天掘りがそこここで始まる。
 私たちだけかと思って暗闇を透かして
みると、あっちこっちの貨車で、自国の
忠良なコムニストたちが、富の再配分に精を出す姿が認められた。
 そのうち、駅舎の方から鉄道監視員
が出て来て 
『この野郎、止めんかッ。ブタ箱にぶち
込むぞッ!』
 職責に忠実に怒鳴る。
 『状況終わりッ。撤収』−そこで、そそ
くさ盗掘のあとならしをして、 『ドスビダニヤ(再見)。』         
 これで、あと1週間暖かく過ごすことができる。5ヵ年計画の成果は、かくて平
等に、労働者?の下に還元され、生産性向上の一助となるわけである。
 数時間、下車を禁じられて、明かりとりの窓に電車の架線を見、直線コース
からカーブに変わったレールや、目隠しの板塀の向こうから聞えて来る騒音にウ
ラルの工業地帯の通過を知った。
 停車間隔も逐次つまって来た。ぼつぼつ終着駅が近づいてきた気配が察し
られる。 まさか、アウシュビッツの瓦斯室送りではあるまいとは思うものの、長い
間の貨車生活に一応の落ち着きを見出していた私たちは、ふと、よぎる不安の
気持を押さえることができな
かった。
 ゴトン!

 徐々に速度を落としていた列車
は一きしみ揺れて、引き込み線に入
って止まった。外から警備兵が声高に話し合う声が伝わって来た。
 『下車ッ』
 タタール州境近くのキズネールとい
う小さな町に放り出された。早速、行軍梯団の編制、給食要員の残留、
病人の別送などが指示された。
 警備兵は、赤い襟章からコバルトの内務省所属の者に変わった。
 ここから70キロばかり徒歩行軍してカマ河畔の収容所に向かうことになった。
 装具を整えて、氷雨そぼ降る欧露の一寒村を後にして雪の一本道に行
方知れずの重い足どりを進め始めた。
 関東軍の将校の一団は、ひっくり返りそうな大きな荷物を背に行軍に加わった。
 途中から、本格的な雪に変わり、気温も零下25度に急降した。
 『通訳、前へ』 長径1キロの彼方から
逓伝が伝わって来る。雪にまみれながら行って見ると、
先頭の方で誰か警備兵とやり合っている。 『とても、動けない。休ませろ』
 『まだ、序の口だ。こんなとこ
ろで休んだら、収容所に入る前に凍え死んでしまう』
いきり立つ若い警備兵をなだめ、
次の部落で小休止の確約をと
って、へばった男の腰を上げ
させる。 すぐまた『通訳、後へ』
 再び雪の廊下を1キロバック。道々、皆を励ましながら戻って来ると、大
きな軍用行李を背負った召集の中尉が、ひっくり返って『もう駄目だ。ソリ
に乗せてくれ』
 警備兵は銃の台尻を振り上げて怒鳴っている。『歩け!ソリに乗ったら
凍傷になる。歩けないのなら、そんな大きな荷物は捨てろ』ソリといっても、
曳いているのは同じ仲間の将校である。我儘者を相手に、思わず声が、
荒くなる。とりあえず、荷物だけソリに乗せて行軍の列に加える。
 『通訳、前えッ』また、おいでなさった。私は、しみじみ、学校時代の
個人の意志も体力の限界をも無視しているのではないかと、疑問を待
ったことも屡々だった猛訓練の成果に感謝した。
 それにしても、関東軍の年配の将校の物持ちのよいのには驚かされた。
数着の軍服から夏冬の背広、ひどいのは女房の晴れ着一式行李に詰
めて運び込んだ者もいた。もっとも、おかげで、俘虜生活のつれづれを
慰める収容所劇団の衣裳に不自由をしなかったことになるのだが、雪中
の行軍では物欲の報いで、凍傷になった連中も決して少なくはない。
 これに引きかえ、ソ連兵のタフぶりには、私も少なからず驚かされた。3日
の行軍の糧食は枕の様な黒パン一箇と乾し肉若干。休憩になると、それ
を適当に銃剣で切って、雪をのせて頬張る。終ったら、シャーゴン・マルシ
(前進)。これでは温食給養を建前にしていた、皇軍の精鋭は、とても太
刀打ちできない。つくづく、こんな奴らと真面目の喧嘩をしなくてよかったと、
胸を撫で下ろした。
 それに、零下25度でも、下着は木綿のシャツとずぼん下、服も日本軍の
夏服程度の綿服にラシャの外套、靴下なしの素足に木綿か毛布地の巻
き布、フェルトの防寒靴だけである。
 やっと20キロ歩いて大休止部落に入った。もちろんゆっくり休めるような施
設ではないが、一応食事をさせ、納量や物置、家畜小屋などに分散させ
てとにかく屋根の下で腰を下ろさせるまでに漕ぎつけた。
 うつら、うつらのうちに、寒さと空腹の長夜を送り、朝を迎えた。
 現地人の炊き出す、僅かの粥を分配して、出発準備を整えていると、警
備兵が来て、大臣が悌団長と通訳を呼んでいると伝えた。
 先任のH大佐に同道して出て行くと、黒皮の立派な外套を着て、大佐の
階級章を着けた六尺豊かな大男が、日本軍の軍刀を片手に眼をむいている。
(あとで判ったことだが、彼はタタール自治州の内務大臣の政治部大佐だった)
 『ガスパジン・バルコープニック(大佐殿)これは、何ですか?』
 『日本の軍刀のようですが!?』
 
『そのとおり、これは前の梯団の忘れ物です。あなたがたは、精鋭関東軍
の将校でしょう。サムライはサーベルを魂として大事にしたと聞いている。とく
にスターリン閣下が日露戦争に日本のサムライが露軍の将校に示された
好意に報いる意味で、あなたがた将校には、とくに佩刀を許されている。
少し疲れたといって、こんな大事なものを置いて行くようだから、関東軍は負
けたのだ。皆に、こんなぶざまなことのないよう、注意して欲しい』
 思わぬところで、碧眼の敵将から、精神教育を受け、陸大兵学教官の経
歴もあるH大佐憤然と胸をたたいた。
 『ケシカラン。早速注意しよう。出発準備ッ!』
 長途の貨車旅行、引き続く70余キロの雪中行軍、精根尽き果てた頃、
カマ河畔の古い街エラブガの家並を造かに望み見て、私たちは
 『たとえ、前途に待ち構えているのが、ガス室であっても、なんでも構わない。
とにかく、星板の下で思う存分、手足を伸ばして見たい』という衝動にかられ
て、心なし足どりも軽くなった。
                     もどる